映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」感想
https://youtu.be/HrjrrHgG1L4
わたしの一押しの女優さんである高畑充希さんが出演する映画は、とにかくどんな映画でも見ると決めています。 それに加えて、ストーリーも高畑さん以外の出演者もよいとなれば、もう時間を忘れて映画に没入する2時間でした。 「愛しき実話」となっているのが、どれだけ本当に「実話」なのでしょうか。例えば、大泉洋さんと三浦春馬さんと高畑充希さんとの微妙な三角関係は「実話」なのでしょうか。この恋愛をうまく入れ込んでいるがために、ただ単なる障害者に対する映画ではなく、より、人間味あふれる映画になっているのは間違いないと思います。 この大泉洋さん演じる鹿野さんが曲者で、いうことは正論だし、納得できるけれど、その振る舞いに頭くるというか…。よくもまぁ、周囲の人たちがたくさんボランティアとして集まったものだと思います。 こういうの(つまり、ボランティアにまつわるあれこれ)を見てしまうと、とても気が重くなります。なぜなら、本当にボランティア精神が自分にはないから。様々なことで自分自身を優先させてしまうから。自分をひとまず置いておいて他者へ…という気持ちが沸き起こることはまずないから。 アドラー心理学の共同体感覚などを引き合いに出すまでもなく、他者貢献だったり、他人の幸せを喜びと感じられることが結局は自分の幸せだったり、人類の幸せだったりにつながってくるというのは、理屈としてはわかる感じはしますが、なんだかんだいって目の前の自分の幸せのほうを選んでしまうわたしです。24時間という時間があって、自分の一生という時間があるわけで、その時間をできれば自分のために有効に使いたいとせこく思ってしまう自分がいるわけです。 ボランティアをはじめ、他者貢献が当たり前にできる人、他者へ貢献することが幸せに感じる人はどうしてそのような考えに至ることができるのでしょうか。まぁ、「考える」というところまではいいとしても、どうやったら「行動におこせる」のでしょうか。わたしには難しいところであります。
幼い頃からの、ボランタリー精神を育んでこなかったからの今なのでしょうかね。
「わかる」し「あこがれる」けれども「できない」し「やろうと思わない」自分がいる…のが、なんとなく情けないです。
あっ、そうだ。高畑充希さんに触れていなかった。大げさに演技というか枠を決めて振る舞う時もあれば、今の年齢に合わせて自然体に(見えるように)演技する時の2つがありますよね(これって、別に高畑さんだけでなくてほかの俳優さんもそうか)。で、わたしはダントツに自然に演技しているときの高畑充希さんが好きです。つまり、「鎌倉ものがたり」の時の高畑さんも嫌じゃないですけれど、今回の映画はとてもよかったです。大泉洋さんの名演技によって高畑さんも引っ張られているのでしょうか。自然な演技ということでは植物図鑑も好きですけどね。